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建築家 永山祐子さんインタビュー「融合が生み出す新たなカタチ」

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永山祐子(ながやま ゆうこ)

Yuko Nagayama

1975年東京都生まれ。1998年昭和女子大学生活科学部生活環境学科卒業。2002年永山祐子建築設計設立。2006年東京理科大学非常勤講師、2007年京都精華大学非常勤講師、2008年昭和女子大学非常勤講師を務める。

2013年7月に完成した横尾忠則の美術館「豊島横尾館」を設計し新進気鋭の若手建築家として注目を集める永山祐子氏。アートと建築のコラボで新たな境地を切り開いてきた彼女が目指すこれからの建築家像について聞いた。

――建築家という職業を選ばれたきっかけはなんですか。
 父が生物物理学の研究者で、学生時代はバイオテクノロジーに関心が向いていました。しかし、友達と進路について相談していた時、建築家という職業を耳にしていろいろ思い出されました。それは小さい頃に家を建替えたことがあり、その時にモデルハウスを見学して歩き回りました。その楽しかった思い出が蘇ってきたのです。私の祖父は、若くして亡くなってしまったのですが、彼も建築家を志していました。そのため、家にブルーノ・タウトや柳宗悦などの本があり、建築家という職業が一気に身近に感じられるようになり、その瞬間から建築家になりたいと思うようになりました。

――建築家という仕事をどう受け止めていますか。
 建築は何かを媒介するものだと思っています。例えば、ケーキ屋さんの場合、人が集ってケーキを購入する人がいて、ケーキを作るパティシエがいて、ケーキを販売する人がいます。その3者の橋渡しをする役割を建築家が担っていると考えています。その様々な行為をつなぐ拠点として存在し、それは人と店、そして店と街をもつなぐ役割があると思います。
 そういう意味でいうと建築は、人の心理に影響を与えるものだといえます。その上、地域の中においては圧倒的なインパクトがあります。たとえ工事中であっても、地域の方々にとっては塀の外側からどのような建物ができるのかという思いを巡らし、何かを感じてもらえます。それほど大きな行為であり、それが建築家の腕一つで良くも悪くもなる。とても責任のある職業だと思います。
 そのため、設計に取り掛かる前にその街とどう関係を構築していこうかと考えます。住居であれば、家族関係や子どもの成長期を描きながら、どういう役割を果たしていけるかを考えるわけです。つまり、物としての建築だけではなく時間までを念頭において考えていかなければならない職業だと認識しています。

――あるインタビューで、「高性能な変換器」になりたいと話されていました。
  建築家は、自分の考えを押し付けて設計するのではないというのが私の持論です。つまり独創性溢れる作家という立ち位置ではなく、まずはあらゆる条件をクリアする建築を提供することが私の仕事だと思っています。法的な諸条件に加え、人の動線などを建築に置き換え、常にクライアントや地域住民の気持ちを汲むことを第一に考えています。
 だから、設計に取り掛かる最初の段階で、建築物の役割や立地性、そしてクライアントの建築に込める思いを聞きます。それは何か形があるものではないので、どういうものなのかは想像の範囲でしか共有できません。しかし、彼らの思いや条件を具体的に形にしていくため自らを「変換器」と呼んでいます。

――その着想がアーティストとコラボした「豊島横尾館」に表れているように思います。
 そうですね。そもそも従来の美術館や博物館では、アーティスト自身の個性も建物の諸条件がバリアとなって十分発揮されていないように感じます。そのバリアを取り払うことで、今にも増して迫力ある作品となって伝えていけるのではないかと考えました。建築家は、建築の細部まで理解しています。それこそ、「高性能な変換器」となって個性豊かなアーティストの表現を新しい視点で見つめ直し、そこから発見した事を建築に拡張していければと思っています。

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――今、ご結婚もされ、お子さんもいらっしゃいます。独身の頃とはまた仕事の捉え方も違ってきたのではないでしょうか。
 今年の1月に二人目を出産しました。年子で、子育ても大変ですが、これまでずっと一人で様々なものを見てきました。しかし、結婚をしてパートナーと一緒に何かを見ることになり、そして子どもと一緒に見るようになりました。そうして、人と共有できる時間、これが幸せなんだと感じました。
 これまでは、自分がどう感じるかという事が中心にありましたが、子どもたちがいればどんな発見するのかという視点も加わりました。場を共有する、人と共感するのは物ではなく時であり体験です。それは見えない物で、それをどのようにして関係付けて行くかが今後の重要なテーマとなっています。
 そうすると、建築はハードという部分で、他との関係を構築するサポート役だといえます。箱物建築といわれるように、建物があれば勝手に人が集まるだろうと信じられていた時代がありました。しかし、今はそれではうまくいかないんだという認識を皆が持っていると思います。今後、建築家はどのような建物が必要なのか、建った後にどのように使われていくべきか、建築の前後にも深くかかわっていくようになると思います。

――昨今、安倍首相は「女性が時代を牽引する」としていますが、ご結婚され、お子さんもいらっしゃる永山さんのワークライフバランスについてお伺いさせてください。
 どんなに夫婦で家事をやっていても、結局、母親にしかできないことのほうが多いので、子育ては大変だと思います。家庭と仕事の両立をするにも、子どもを出産すると、必ず1、2ヵ月は仕事を休まなければなりません。
 建築家という仕事は手を動かすというよりも頭の中で考える仕事です。考えだすと止まらずにプライベートと仕事は完全に切り離しにくいものですが、逆にどこででも、考えている事はできます。また、最近は便利なツールも増えて遠隔にいても色々な方法で情報を得やすくなっているので以前よりも自由なスタイルで仕事がしやすくなっていると思います。
 私の場合はなによりも母のサポートがあって成り立っています。

――将来の夢について教えて下さい。
 建築の仕事をしながらいつも感じるのは、事業のプロデュースから携わっていければということです。私は、依頼されると、そもそもこの依頼の提案は間違っていないかという根本の部分から見直すようにして設計に取り組んでいます。その際にもう少しこうしたほうがいいとか、こういう考えのほうが時代性にあうのではないかというアイデアがどんどん出てくるんです。建築家の視点はハードを整える技術を活かした職業です。最初の企画段階からその技術を活かしながら、全く違う分野の方とコラボすることで、より精度の高い提案をしていけるのではないかと最近思うようになりました。すると、よりそれぞれのプロジェクトに適した形になってくるのではないだろうかと思っています。
 そもそも建物が建つというのは、街において大きなイベントです。もともと地鎮祭や上棟式など祝祭的な意味合いがあります。個人のものでありながら街のものなんです。自分たちが何かを建てる時、そのイベントを街にどのように還元していけるのかじっくりと考えていき、街の人々にに喜んでもらえるイベントにしていきたいと思っています。
――ありがとうございました。
(Life Design Journal vol.4 2014年4月25日号掲載記事転載)

豊島横尾館

〒761-4661 香川県小豆郡土庄町豊島家浦2359

展示空間は既存の建物の配置を活かし「母屋」「倉」「納屋」で構成。平面作品は11点を展示。石庭と池、円筒状の塔にはインスタレーションが展開され、作品空間は敷地全域にシンボリックな広がりをみせる。建物には光や色をコントロールする色ガラスを用いて、豊島の光や風や色、作品の見え方を様々に変容させ、空間体験をコラージュのようにつなげている。

写真・広川智基(ひろかわともき)

1979年生まれ。和光大学人文学部芸術学科卒。日本写真芸術専門学校卒。高校在学中から写真を撮り始め、大学在学中に仕事を始める。現在、雑誌、CDジャケット、広告、TVなど多岐に渡り活動中。

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