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音楽評論家・作詞家 湯川 れい子 × 谷口 正和 スペシャル対談「音楽のある風景」日常を彩る幸福な時間

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 音楽はこれまで私たちの暮らしに素敵な時間をもたらした。成熟社会に突入し、ますます物から質が求められる時代になった今、日常を彩る風景としてますます音楽は重要性を増していくことだろう。そこで音楽ジャーナリスト湯川 れい子氏から「音楽が描き出す幸福」について聞いた。

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ザ・ビートルズ来日
日本に残した足跡とは

谷口 音楽は昔から、我々の暮らしの中に浸透し、日常生活において不可欠なものとなりました。物のある豊かさを超えて、心の豊かさが問われている今、ますます重要となってくるものだと思います。そこで世界の第一線で活躍されてきた湯川さんご自身の変遷についてお伺いさせてください。

湯川 私の原点となると、ビートルズが発表した1964年の楽曲“I Want To Hold Your Hand”(『抱きしめたい』)よりも、さらに8年前まで遡ります。1956年1月、センセーショナルなデビューを果たしたエルビス・プレスリーの“Heartbreak Hotel”(『ハートブレイク・ホテル』)が私の心を打ちました。進駐軍放送から流れてきたこの曲を毎日、学校から帰ってラジオで聴いていました。最初は名前も聞き取れなくて、どこの誰か分からずにいましたが、とにかくそれまでの音楽とは全く違う異質なものに聴こえました。その音楽を聴くと、全身が身震いするほどでした。それを繰り返し聞いていて徐々に聞き取れるようになり、エルビス・プレスリーという白人の歌手が歌うものだと分かりました。その3ヵ月後に日本でも発売され、エルビスのファンになりました。
 それから4年後1960年にジャズの専門誌『スイング・ジャーナル』の読者論壇ジャズの専門誌に投稿したのがきっかけとなり、本格的に音楽ジャーナリストとして原稿を書くようになりました。
 ジャズは、アメリカ南部でアフリカからつれてこられた人たちが過酷な労働の中で生み出したもので、やがてそこからロックが生まれました。そのため、アメリカでは白人でありながらエルビス・プレスリーが歌うロックは不謹慎だとバッシングされていました。また日本の音楽ジャーナリズムの世界ではジャズは評論に値するが、ポップスは値しないという時代でもありました。

谷口 当時の音楽界というのは、まだそんな状況だったんですね。

湯川 私は当時、独学でジャズを聴いて原稿を書いていたので、エルビスが実はアメリカ南部からデビューしていることや、教会音楽、ゴスペルの影響を受けていることを知って、ジャズとエルビスの持つ背景が同じであることに気が付いたのです。そんなことから本格的にポップスの原稿を書くようになり、それから6年後の1966年にビートルズが来日しました。その盛況ぶりは、目を見張るもので、記者会見場に200社を超える報道陣が押しかけ、当時、『ミュージック・ライフ』という音楽雑誌の顧問やラジオのパーソナリティをやっていましたが、まだ私のようなフリーランスの女の子が記者会見場に入れてもらうのも大変でした。でも新聞社から来日特集号を任されていたため、何とか新聞社主宰の記者会見に入れていただくことができました。またこの来日公演は、オリンピックの時代武道の殿堂として建てられた日本武道館が初めて音楽に開放されるという、歴史的な意味合いもありました。
 しかし、ビートルズの来日は当初、すべてが歓迎されたものではありませんでした。政治評論家たちが来日公演に異議を唱え、公演会場となる日本武道館について「神聖な武道館の使用を許可するな」という事態にまで発展しました。ところが、当時、屋内で1万人が入れる会場がそこしかなかったため、かろうじて中止は免れたということがありました。

谷口 素敵なモノであるはずなのに周りの日本人には理解できなかったのでしょう。まるでデモを抑え込むような異様な空気だったのですね。

湯川 ビートルズの音楽は、黒人音楽から派生したアメリカのロックが、古くから階級制度が残るイギリスの労働者の町リヴァプールに飛び火して生まれたという、画期的な若者のための音楽でしたが、当時の大人たちからはまだまったく理解されなくて、ただ「百害あって一利なし」という拒絶反応さえ示されるという状況でした。

谷口 その熱狂的なファンたちの行動が社会現象となり、政治家などの地位を揺るがすものに見えたのではないでしょうか。それに恐れをなしたのかもしれません。

湯川 そうかもしれませんね。自分たちが把握しきれないものに対する大人の恐怖心があったのかもしれません。ビートルズの来日では警察官が毎日2000人くらい出動したり、羽田空港からホテルまでの高速道路を通行規制してビートルズの車だけを走らせたりしました。アイゼンハワー大統領の来日を見越した予行練習だったとも噂されていました。たぶん、本当だったのでしょう。

谷口 奇しくも本日はビートルズの記者会見が行われた「ザ・キャピトルホテル東急」の「ORIGAMI」でお話をお伺いしていますが、そのような厳戒態勢の中、どのようにしてビートルズと会えたのでしょうか。

湯川 それはビートルズを日本に招聘したプロモーターの永島達司さんの計らいです。新聞社から任されていた来日特集号なのに、何も書くネタが無いという状況で、永島さんにビートルズに会いたいと懇願しました。それで永島さんからビートルズが「武道館」と書いた腕章をほしがっているから届けてほしいと託され、腕章4枚を届けることになりました。写真撮影については、「君の腕次第だ」と言われ、読売新聞の方から一眼レフとストロボを借りて、彼らが宿泊するホテル、ここの10階に上がりました。
 彼らはつい立の向こう側で食事をしていて、しばらく食事が終わるのを待っていました。すると、食事を終えたポール・マッカートニーが現れて、突然の闖入者に驚いたのか、「どこから来たの?」と目を丸くして言われ、腕章を届けにきた旨を伝えました。しかし取材をすることはできません。そこで「少し遊んでいっていいかしら?」と切り出して40分くらい雑談をしていました。
 ビートルズが日本を発った後、ビートルズの音楽が持っていた意味について深く考えました。そしてそれは「さあ、元気に楽しくやろうよ」ということだったと気が付きました。様々なジャーナリストがビートルズの音楽について見解を述べていて、その中にポール・マッカートニーのベースのコード進行が個性的だとか、リンゴ・スターのドラムのビートがユニークだとかいう批評がありましたが、音楽の楽しさなんてそんなものではありません。むしろ、もっと気持ちがワクワクするような、生きていることの賛歌なのです。今思うと、来日公演で11曲を演奏した35分。このうち『イエスタディ』をはじめ3曲が昨年11月、ポールの来日公演でも歌われています。そういった新たな音楽文化を定着させた彼らの功績のどこが百害あって一利なしと言われたのか、いまも疑問に感じています。

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音楽を価値づけること
医療による裏付け

 
谷口 その拒絶反応は、日本人の海外旅行が解禁となった当時のこと。世界から異質なものが急速に入ってくることに対する恐怖だったのかもしれませんね。

湯川 それはエルビス・プレスリーが出て来た時も同じです。どうしたら彼らの素晴らしさが伝わるのかを考えること、それが私の仕事になりました。それはまた、日本全国の小中学校の先生たちに音楽の素晴らしさを説明することも意味していました。きちんと裏付けをとって説明できないといけませんよね。
 1972年にサンフランシスコを訪れた時に音楽療法というものがあると知りました。ミュージックセラピーです。これは衝撃的でした。音楽が持つ意味について、ようやく科学的な裏付けができるものを見つけたのです。日本でも2001年から日本音楽療法学会が設立され、寝たきりの老人を増やさず、少しでも病人の苦痛をやわらげるなど、音楽が持つ働きについて研究されるようになりました。
 人は外から一定のリズムを与えられると、それに呼応してその人の基本リズムが整えられます。交感神経と副交感神経が正常に保たれるため、自律神経失調症などにも効果があります。心地よいリズムが心臓に働きかけて、定常性が保たれる。ホメオスタシスですね。ハーモニーやメロディー、歌詞などによって感情的にも解放されます。実は16世紀には西洋のお医者さんがうつ病治療に取り入れていました。これは日常生活にも応用できます。
 うつ病を患っている人には、頑張れと言わないほうがいい場合がありますよね。うつ病の人が音楽を選ぶと陰々滅々とした楽曲を選びますが、それを聴き、涙をこぼしながら感情移入して、徐々に回復していきます。これは「同質の原理」と言われています。
 苦しんで落ち込み、誰にも分かってもらえないと嘆く時、人から薦められる音楽じゃなく、その人自身が聞きたい音楽を聴くことで元気になれるのです。悩み相談に対して「さあ楽しもう!」じゃなくて、時には「苦しかったね」と言って涙をこぼしてあげるほうがいい。だから、若者のエネルギーが有り余っているときは、がんがんロックなどを聞くことで、逆に鎮静化するのだと思います。

谷口 すると、音楽とは、単純に芸術として暮らしから遠く離れた場所にあるものではなく、暮らしの一部であるものだと捉え直して考えていかなければなりませんね。その確信は、ますます社会的な意義があるものだといえます。

湯川 はい。たとえば先日来日したローリング・ストーンズのミック・ジャガーは、若者の性的な衝動や暴力性を音楽で解放することを考えたとも言われています。人間が持つ暴力性を発散する場でもあるロックのライブが抑圧されれば、その感情は行き場を失い暴走することもあります。1969年ですが、その時は警官ではなく、ライブの警備を買って出ていたヘルス・エンジェルスというヒッピー集団が黒人の青年を殴り殺してしまうという「オルタモントの悲劇」と呼ばれた事件もありました。つまり、音楽ライブは上手に活用されれば自己マネジメントのためにも有効な要素だと言えます。
 

暮らしのすぐ側にあった音楽
ライブが人を幸せにする

 
谷口 ラジオ、レコード盤、CD、ウォークマンとハードを通じて音楽と暮らしのあり方が変わってきたように思いますが、現在、ソフトである音楽コンテンツそのものが注目され、いつでもどこでも聴けるようになりました。音楽の聴き方が変わってきた中、最近の音楽市場は、CDを販売するという旧型ビジネスが縮小する一方で、音楽ライブのエンターテインメント市場は伸びています。

湯川 CDは売れなくなっても、ライブ音楽は生き残るものだと思っています。CDは音を数値化して刻み込んだ音の缶詰めですから、乱暴な言い方をすると、CDよりも洗練されていない生モノのライブ音楽のほうが良かったりもします。ライブと言えば、日本の原風景である「祭り」がそうですよね。学校でソーラン節を踊るようになって校内暴力がなくなったというケースがあるように、同質の原理は左脳的に悩んでいることを右脳に置き換え、ストレスを発散させることができます。それが「祭り」の効用で、「祭り」は世界中にあるように一人ひとりが自己を回復する場にもなります。反原発デモでも太鼓を叩きながら訴えています。それは音楽によってある意味、暴力を起こさせない抑止力ともなっていると思います。

谷口 再生の「祭り」ですね。そうやって自己制御させているのですね。しかし、それが抑圧されると自己統制できなくなります。するとライブは、社会的に見ても、とても重要な働きがあります。こういう流れの中で、日本には少子高齢化、シングル化という社会課題があります。この課題に対して解決を誘うものが音楽のように改めて思えてきました。高齢社会の先に生涯現役という言葉があるように、シングル化した世帯と高齢者を結び付けていければ新たな地域家族という定義すらも可能になるのではないでしょうか。音楽の側面から見てEXILEやAKB48などグループで踊るチームアーティストが流行する中、アーティストはどういう役割を期待しますか。

湯川 音楽業界に視点を合わせると、楽曲の不正コピーなどが横行すると、収入という果実が戻ってこず、レコード会社やプロダクションは廃業を迫られます。新しいアーティストの発掘や、良い楽曲を製作する時間も失われて、どんどんマーケットが縮小していきます。今、日本の大手のレコード会社は6つしかない状況です。まだまだCDが売れないと還元されません。そして循環できないという悪環境に陥っています。その中で、AKB48は、投票券をつけたり、+αを付加することで成り立たせてきました。今ではAKB48も本当の意味でのアイドル化してきたと感じていますし、『恋するフォーチュンクッキー』などは老若男女問わずいろいろな人が歌って踊っています。
 EXILEもマイケル・ジャクソンが残した踊ることの意味を継承していると思います。踊りとは原始の時代にまで遡る文化と言えます。マイケル・ジャクソンはその意味を30年以上も前から分かっていた人で、ディスコ・ブームが過ぎ去った後にもかかわらず、1980年代には彼の代名詞である『スリラー』を発表するなど、当時から踊りの意味について考えていました。
 
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音楽がもたらす能力
幸せに不可欠なもの

谷口 音楽に寄り添い、音楽の意味を噛み砕いて、解釈を加えることはとても重要なことです。音楽は、肌感覚では理解できる一方で、その解釈が見えてこないため、茫洋としたものでもあります。それを感じ取る嗅覚は、才能としか表現できません。音楽の意味を付加することはとても重要なことです。今、働き方と暮らし方との境界線のない生き方が顕在化してきています。これまで大きくリードされてきた湯川さんの生き方から見えるこれからの音楽の役割についてどのようにお考えですか。

湯川 実は20年くらい前から子守歌復興運動を展開しています。その理由の一つに自殺問題があります。なぜ、日本のように恵まれた環境の中で過ごしているのに年間約3万人もの人が自殺を選択しなければならないのか。その原因の一つに親子のコミュニケーションの問題があるように思います。一番初めの親子のコミュニケーションは心音です。赤ちゃんがおなかの中にいる時、心臓は母親の2倍の速さでリズムを打ちます。母親がびっくりして心拍数が上がると赤ちゃんの心臓は、その2倍の速さで動きます。
 私たちは心臓というリズム楽器を持っています。そしてその心臓のリズムに、一生支配されて生きていくと言っていいと思います。だから、母親の心臓音や胎内で聞いていた声から、なるべく近いところで赤ちゃんを育てる。すると、赤ちゃんは安心して発育します。生後3日間が大切だと言います。これを戦後の日本は、新生児の時から親子を切り離してしまっています。そのため、どこか不安な気持ちにさいなまれて、自分に自信が持てないという人が増えているように思います。
 女性が働くことで日本を元気にすると安倍さんは言って下さっていますが、それが日本再生の一つとしても、現状、都会で暮らす若い夫婦は共働きを余儀なくされています。しかし、子どもが安心して安全に育つためには生後3日間、3ヵ月間、3年間のスキンシップが特に重要なのです。この期間に母親が子どもとコミュニケーションを取れるような仕組みが求められます。その一つが子守歌です。歌は何でもかまいません。母親の声によって、赤ちゃんはおなかの中にいる時と同じ周波数の音を聞けるだけで安心します。ただ単に音がすれば寂しくないだろうといって、テレビの前に転がしているだけでは意味がありません。母親の声が望ましいし、それが無理なら、男の人の声よりも女性の声が望ましいのです。

谷口 その行為によって、子どもに「絶対安心」が生まれるのですね。

湯川 それがまたアイデンティティともなります。コミュニケーション力とは、まず自分の存在を理解しなければ身につきません。黒人の教会音楽で、コール・アンド・レスポンスを反復することでゴスペルが生まれました。赤ちゃんが泣いたら、「どうしたの?」と声を掛ける。赤ちゃん自身が泣いているという自分の行動と、それに対する反応を認知します。そして愛が分かってくるのです。そこが欠如していると本当のコミュニケーション能力は育ちません。

谷口 結果、子どもに自信が生まれるわけですね。

湯川 脳幹の太さが男性と女性とでは違うと言われています。私は男女は違う生き物だと思っています。男の人は集中していると声をかけても聞いてくれませんが、女の人は2、3のことが同時にできます。男性には匠が多いけれど、女性にはまた別の才能や特性があって、八方広がりにやりたいことを追いかけていくことができる。育児をしながら、趣味も仕事も勉強もすればいい。そして、時間がないからとすべてを中途半端にしてしまわず、やりたいことは夢として貯金しておけばいい。子育ての後に姑の介護があったりもするかもしれないけれど、その期間、夢貯金をしておいてもらいたいです。本当の意味で女性が人生を謳歌できるのは、60歳を過ぎてからかもしれませんね。

谷口 音楽にかける生涯を柱にした発想とエネルギーを聞かせていただきました。自らの興味を深めて女性が活躍する時代、その可能性を大切にしたいと思います。今日はありがとうございました。

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ザ・キャピタルホテル 東急『ORIGAMI』
旧称の東京ヒルトンホテル時代の1966年、ザ・ビートルズが来日公演時に宿泊したホテルで湯川 さんが初めてザ・ビートルズと対面した思い入れのある場所でもある。2006年に建て替えのため営業を休止し、2010年10月にザ・キャピトルホテル東急として再営業する。オールデイダイニング『ORIGAMI』は当時、『おりがみ』という名前でザ・ビートルズの記者会見が行われるなどザ・ビートルズゆかりの地であるほか湯川 さんにとっても音楽ジャーナリスト人生のターニングポイントとなる場所での対談となった。

(Life Design Journal vol.4 2014年4月25日号掲載記事転載)

湯川 れい子(ゆかわ れいこ)

音楽評論家・作詞家

東京都目黒区で生まれ、山形県米沢で育つ。昭和35年、ジャズ専門誌 『スイング・ジャーナル』への投稿が認められ、ジャズ評論家としてデビュー。その後、17年間にわたって続いた『全米トップ4 0 』(旧ラジオ関東・現ラジオ日本)を始めとするラジオのDJ、また、早くからエルビス・プレスリーやビートルズを日本に広めるなど、独自の視点によるポップスの評論・解説を手がけ、世に国内外の音楽シーンを紹介し続け、今に至る。また、作詞家としては、代表的なヒット曲に『涙の太陽』、『ランナウェイ』、『ハリケーン』、『センチメンタル・ジャーニー』、『ロング・バージョン』、『六本木心中』、『あゝ無情』、『恋におちて』などがあり、「F N S歌謡祭音楽大賞最優秀作詞賞」、「JASRAC賞」、「オリコントップディスク賞作詞賞」など、各レコード会社のプラチナ・ディスク、ゴールド・ディスクを数多く受賞。またディズニー映画「美女と野獣」「アラジン」「ポカホンタス」「ターザン」などの日本語詞も手がけている。著書には『エルヴィスがすべて』(ブロンズ社)、『湯川 れい子の幸福へのパラダイム』(海竜社)、『幸福への共(シンク)時性(ロニシティ)̶もっと豊かにもっと健康に生きるための26章』(海竜社)、『幸福への旅立ち(マハーサマーディ)̶人生を完璧なものにするための20章』(海竜社)、『湯川 れい子の今夜もひとりかい』(共同通信社)等があり、2004年10月には、聖路加国際病院名誉院長・理事長の日野原重明氏と共に、音楽が持つ根源的な力を医学、精神、芸術等様々な角度から分析し、分かりやすく説いた初の対論集『音楽力』(海竜社)が発売され、既に8版目に入っている。近年は、平和、健康、教育、音楽療法などボランティア活動に関するイベントや講演も多い。

谷口正和(たにぐちまさかず)

マーケティング・コンサルタント、株式会社ジャパンライフデザインシステムズ 代表取締役社長

1942年京都生まれ。京都鴨沂高校を経て武蔵野美術大学造形学部産業デザイン学科卒業。生命、生活、人生の在り方を問う「ライフデザイン」を企業理念そのものとし、地球と個人の時代を見据えて常に次なる価値観のニューモデルを提示し続ける。コンセプト・プロデュースから経営コンサルテーション、企業戦略立案、地域活性計画まで幅広く活動。時代を週単位で分析し続けている週刊「IMAGINAS(イマジナス)」はウィークリー情報分析誌の草分け的存在。会員制ワークショップとして、21世紀の新マーケット・パラダイム『文化経済』市場の商業、観光、産業の経営を学ぶ「文化経済研究会」を主宰。 日本デザインコンサルタント協会・副代表理事、日本デザイン機構・理事、日本Webソリューションデザイン協会・顧問、京都文化観光創造塾・座長等を務める。

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