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三國清三氏が幸之助から学んだもの

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東洋経済9/3号の特集は「不滅のリーダー 松下幸之助」。小学校すらまともに卒業できなかったという過酷な生い立ちから持ち前の誠実さと精神力を持って挑戦を続け、日本人で最も成功した経営者である幸之助の著書である『道をひらく』。泡沫のように浮かんでは消えていくビジネス書とは一線を画し、68年の初版以来着実に版を伸ばし、15年は520万部を突破。常にベスト10入りし続けている不朽の名著です。ファーストリテイリング柳井氏、カルビー松本氏ら日本を代表する企業のトップが自らがいかに幸之助を読み、使っているかを語るパートで文化経済研究会でご登壇いただいた「オテル・ドゥ・ミクニ」オーナーシェフの三國清三氏と『道をひらく』との関わりが大きく取り上げられていたのでご紹介します。

0903-2「『道をひらく』を始めて読んだのは15歳のとき。僕は札幌のホテルで料理人の修行を始めていた。(中略)その本には、僕が感じた修行のつらさとか、何で自分だけ不幸なんだという思いが、的確な言葉になっていた。『俺だけじゃない。みんな一緒なんだ』と心が楽になった」

それ以来、枕元に『道をひらく』を置き、寝る前に読み返すことで働くエネルギーを貰っていたそうです。18歳で、更なるステップアップのために東京の帝国ホテルの門を叩いた三國氏。先輩に「東京は甘くないぞ」とさんざん脅されながらも飛び込んだ帝国ホテルは本当に甘くなく、「悪いときが過ぎれば、良い時は必ず来る」「蓄えられた力がなければ時が来ても事は成就しない」などの言葉を支えにし、必死に皿洗いの仕事を続けました。しかし、2年目を迎えても一向に変わらない仕事内容に三國氏はとうとうくじけます。
「20歳の誕生日を迎えた8月10日、退職を決意した。『チャンスは来るなんてうそだった』。心の支えだった幸之助さんの言葉も、いったんそこで否定した。『どんなに志が高くてもダメなものはダメだ』って」その時でした。料理長からスイスの日本大使館の料理長に推薦され、「本当にチャンスが来た!」と、三國氏は二つ返事で日本を後にします。皿洗いしかしてこなかったので、未だに何故自分が選ばれたのかはっきりは分からないそうですが、欧州にも『道はひらく』を携えていったとか。かつては一料理人として幸之助の言葉に導かれていた三國氏ですが、今では業務提携店を含めて1000人ほどのスタッフを抱える経営者として何度も本を読み返しており、「人生のどのステージでも心に響く言葉が載っている」この本をまるで聖書のようだと言います。
三國氏は料理人としての顔と、経営者としての顔の他に、東日本大震災が起きてから「子どもたちに笑顔を! 復興支援プロジェクト」や、「KIDSシェフ教室」を展開するなど、食を通じた社会活動家としての顔も持っています。幸之助も松下政経塾を通じて次世代のリーダー育成を行った社会革命者であり、三國氏の活動の端々に幸之助の精神や言葉が生きているように思えます。

株式会社ジャパンライフデザインシステムズ
チーフエディター
小林 征夢

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