20161125

スタイリスト 高橋 靖子さんインタビュー

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75歳、現役スタイリスト。
約半世紀にわたって、ずっと第一線で活躍し続ける高橋靖子さん。驚くほどの行動力で、自らの人生を切り開いてきた彼女の軌跡をたどる。

時は1 9 6 0 年代半ば〜 7 0 年代。「ヤッコさん」の愛称で親しまれ、時代を象徴するトップクリエイターたちとファッション業界や音楽業界に多大なる影響を与え続けてきた高橋さん。日本のスタイリストの草分け的存在としてさまざまなカルチャーシーンを牽引してきた「ヤッコさん」に、懐かしい“あの頃”を語ってもらった。

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ー高橋さんは最初コピーライターを目指していたと聞いて驚きました。
 実は私、学生時代にコピーライター養成講座に通っていて、そこの講師の先生の紹介で、最初は電通でコピーを書いていたんです。ちょうど「マックスファクター」などの外資系の化粧品メーカーが参入してきた時代で、女性のコピーライターが必要だったんでしょうね。でも自分の中でしっくりこないというか、このままでいいのかなという思いが心のどこかにあって。そんな時、原宿のセントラルアパートにあるレマンという広告制作会社のパーティに遊びに行ったんです。そしたらベロベロに酔っ払ったスタッフが「うちに来れば?」と声を掛けてくれて(笑)。「それもいいな」と思って、自主的に出勤するようになったんです。

ー自主的に出勤とは斬新ですね。
 そういうのが許される時代だったんでしょうね。

ー原宿のセントラルアパートといえば、当時のサブカルチャーを象徴する建物として、さまざまなクリエイターたちが集まる場所だったとお聞きしています。
 当時はカメラマン、イラストレーター、コピーライターなどさまざまなクリエイターたちがセントラルアパートに事務所を構えていました。カメラマンの操上和美さん、浅井慎平さん、鋤田正義さん、あと独立する前の糸井重里さんもいましたね。今考えるとすごいですよね。セントラルアパートの1階にあった「レオン」という喫茶店には、そういうクリエイターや仲間たちが自然と集まっていて、独特の空気感を放っていたような気がします。

ーコピーライターからスタイリストに転身するきっかけは何だったのですか?
 レマンに入ってからは、撮影場所を探したり、撮影の小道具や衣装を用意したり雑用ばかりやっていました。そしたらだんだん、オルガンを弾いている女の子を後ろから撮影する時は、大きなリボンが付いているワンピースの方が可愛いから、リボンだけ買ってきてつけてみようとか、無意識にスタイリストのような仕事をするようになっていたんです。コピーライターとしての実力がないから、どうやってみんなをびっくりさせようとか、楽しませようとか、そういうことばかり考えていたんです。気付いたら、書くことよりスタイリストのようなお仕事のほうが多くなっていました。

ーフリーランスになったのは、スタイリストとしてやっていきたいという想いが生まれたからですか?
 それが全然。当時、スタイリストという職業は社会的にはゼロに近い状態で。レマンを辞めたのも、コピーライターとしてお金を稼いでいないから申し訳ないなという気持ちがあったから。ただ、運がいいことに、セントラルアパートにはカメラマンの事務所が多く入っていたので、彼らのところを回ったり、一緒にお茶したりしていると、チラシからCMまでいろいろな仕事をもらえたんです。人に会うことが好きだったので、そういう部分では、コピーライターよりもスタイリストのほうが性に合っていたのかもしれませんね。

ー高橋さんといえば、T・レックス、デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップなど海外アーティストとのお仕事も印象的です。
 カメラマンの鋤田正義さんに「ヤッコさん、T・レックスって知ってる?」って誘われたのがはじまりです。本当のことを言うとT・レックスのことなんて何も知らなかったのに、勢いで「知ってる」と言ってしまって。そしたら、「僕、T・レックスの撮影をしたいから一緒にロンドンに来てくれない?」と言うので、そのままついていったんです。

ーその直感的な行動力はさすがですね。
 ロンドンに着いてから、T・レックスの事務所の連絡先を調べて、鋤田さんの作品を見せに行ったら即OKが出たんです。それで、T・レックスの撮影をしている時に、たまたま街で面白いポスターを見かけて「変わった人がいるね」と話していたアーティストがデヴィッド・ボウイでした。すぐにまたレコード会社に電話して、作品を見せたら、ここでもO K が出たので撮影を敢行。デヴィッドと初めて会ったのが、この時でした。

ーこの出会いが、デヴィッド・ボウイの代表作「HEROES」のジャケット写真やさまざまな作品につながっていると考えると感慨深いですね。長年スタイリストとして活動する中で、高橋さんが大切にしていることは何ですか?
 私は、CMやテレビの仕事が多かったからか、正統派のファッションというより意外性をつくスタイリングをお願いされることが多いんです。たとえば、オーソドックスなドレスなんだけど、隠された紐を引くと中世の王女のようなドレスになるとか、見ている人がびっくりするような衣装を得意とするのは、ずっとフリーランスでやってきたからこそ、培われた部分かもしれません。

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1973年NYラジオシティ公演の直前、おでこに月のメイクを描き上げたデヴィッド・ボウイと。(撮影:鋤田正義)

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山本寛斎さんのスタジオで衣装のフィッティング中。(撮影:鋤田正義)

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自宅にて。それまで長かった髪をバッサリと切ったのもちょうどこの頃。どことなく表情も清々しい。

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『広告批評』2008年10月号 モデルに宮あおいさんを迎え、スタイリストは高橋さん、伊賀大介さん、橋本庸子さん、そして写真は篠山紀信さんが務めた特別号。写真は高橋さんがスタイリングしたバージョンの表紙カバー。(撮影:篠山紀信)

ずっと飽きることがない、
この仕事が好きなんです

ー常に第一線で活躍し続ける秘訣などあれば教えてください。
 私、本当にこの仕事が好きなんだと思います。ずっとやっていても飽きることがない。やっぱり“好き”とか“愛せる”ってことがとっても大事なんじゃないかなと思います。

ー男性社会が根強くあった時代に、新しい道を切り開いてきた高橋さんですが、今と昔で、女性の働き方や生き方はどう変化したと感じますか?

 昔は、女性が働き方を開拓するという点では確かに厳しい時代だったのかもしれませんが、決まりきったルールがなかった分、将来への希望は今よりもあったような気がします。でも、どんなに大変なところにも絶対隙間はあります。自分の心を開いて、直感を信じて、どんどん進んでいけば、きっと自分の“これ”というものを見つけられると思いますよ。

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高橋 靖子(たかはし やすこ)

スタイリスト

1941年生まれ。早稲田大学卒業後、大手広告代理店で働いたあと、広告制作会社レマンに転職。その後スタイリストに転身。フリーランスのスタイリスト業として確定申告の登録第1号に。現在も現役として広告を中心に活躍中。著書に『表参道のヤッコさん』(河出書房)、『時をかけるヤッコさん』(文藝春秋)などがある。

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